詩「眠れないね。」

眠れないね。
仕方がないね。
考えること、たくさんあるね。
それはあなたが、真面目だから。
たくさんたくさん、考えて。自分のために、考えて。
世界が平和であるために。
納得の行く答えが、
見つかりますように。

詩「ありがとう、私」

ありがとう、私。
いつもありがとう。
私を守ってくれて。
頑張ってくれて。
私を必死に生かそうとしてくれてるの、
感じるよ。分かるよ。
ごめんね、もう責めないよ。
私はあなたの味方。
あなたの思うままに。
私の思うままに。
生きていきたいね。

紆余曲折あった私のこれまで⑤

何もかも空回りし、上手くいかなくなった私に転機が訪れたのは、高校を卒業してから半年が経った頃でした。お盆でおばあちゃんの家に行った際、いとこにあるアルバイトを紹介されたのです。
(私は普段、いとことはほとんど交流しないのですが、その時はたまたま喋る機会があった。)


いとこには、牛乳屋さんで働いていた経緯と、もともとは営業として雇って頂いたことを話しました。
(接客は問題なくこなせていたこと、社内での交流は少なくて済むということを考慮して、当初は営業なら上手くやれるのではと考えていた。しかし、実際には"飛び込みだったこともあるが"一日で心が折れ、号泣し、配達員への変更を余儀なくされた。)


いとこはちょうど営業マンだったこともあり、
また、以前勤めていた職場が人手不足だったこともあって、そこで働いてみないかと提案されました。
そこは、ガソリンスタンドでした。


私は女性でしたが、バイクが好きだったこともあり、また、仕事を選べる立場でもなかった為、藁をもすがる気持ちでOKと返事しました。


今思えば、ここで断っておけば、後に大きな迷惑をおかけすることもなかったのにと、悔やむ思いもあります。
しかし、ここでの失敗が、私を大きく成長させることになったのも確かです。


ガソリンスタンドでの仕事は、すぐ翌月から始まりました。率直に言ってしまうと、そこはブラックでした。従業員の方は優しい方もいましたが、仕事を全然しない方もいました。私としては初めての(そして恐らく最初で最後の)フルタイム勤務でもありました。

一つ不思議だったのが、そんな環境だったにも関わらず、出勤一日で辞めるということがなかったことです。
それまでは、面接の段階で体調を崩して、すぐに電話で辞退するという流れが続いていたのに、その点だけは不思議でした。

→続く

紆余曲折あった私のこれまで④

高校を卒業したことによって、私は所属する場所と、相談できる人を失いました。(仲の良かった美術の先生と、信頼するスクールカウンセラー)


先生には学校へ行けば会えますが、既に生徒という立場ではなくなっていた為、気軽に相談するのは難しい状況でした。
また、卒業が近付くにつれ、情緒不安定になっていったこともあり、それまで働いていた牛乳屋さんも辞めざるを得なくなりました。


心の拠り所を無くしたことにより、私はまた元の引きこもりへと戻っていきます。


私の高校では、卒業するまでの上限が10年(確かそのくらいだったはず)と定められていました。
実際には3年で卒業したので、もっと長く在籍していることも可能でした。
(当時はかなり後悔しました。)
けれどそうしなかったのは、早く自立したいという気持ちが強かったからです。(矛盾しているようですが。)


このまま長く学校に居ても、何も変わらない。そんな気持ちがあったから、不必要な単位を取ってまで長居しようとは考えませんでした。


家での私の生活は、暗く、憂鬱なものでした。仕事をしようにも、面接の段階で疲れ果ててしまうため、毎日「何で生きているんだろう。」と思う日々が続きました。


正直、先の事が全く見えなかった為、「死にたい」と思うことも多々ありました。
それができなかったのは、まだ、私が最悪の状況にいなかった為、何かできることが残されていた為だと思います。
(家があり、今すぐ生活に困るような状況ではなかった。)


とはいえ、一時は布団から起き上がれないほど塞ぎこんでいたのは確かです。

→続く